同じ夏などどこにもない。
けれど、この季節に酷く気持ちが落ち込んでしまうのは、何も成長していないことの証なのだろう。
電車内で「どうして犯罪はなくならないのと!」雑誌に目を通しながら自己主張した女性のように
自由になれたら楽になれるのだろうか?
ちょこちょこ活字から目を離し、無関係そうな淑女の会話を盗み聞きながら睨みつけていたのを見てしまうと
私の計り知れぬところで生きづらさを感じているのかもしれない。
雑踏の音が耳につき、人が多ければ多いほど思念が渦巻いて見えるように。
スピリチュアルなものなんかでなくて、やや強迫観念に近いと思う。
だから一人で外出するときは、なるべくイヤホンで世界を断絶して裸眼で歩くようにしている。
誰とも目が合うことの無い安心感。
それでもときたま「お前はお天道様の下を歩けるような人間か……?」と道行く他人様に
問われているような錯覚をおこす。無駄な被害妄想。
自分が思うよりずっと人は人を気にしないものだし、自分だってまともなときは”ヒトリ”の世界に篭っている。
もしかしたら、誰かに自分を認識してほしい欲求に負けているのかもしれない。

思考も年も廻れど廻れど、まざまざと憂鬱がのしかかってくる。

CKCkma-VAAADjxH.jpg


去年居た人間が今年はもういない。
東京にはこんなにも人が溢れているのに、私の目の前からは毎年のようにいなくなっていく。
距離が出来れば連絡も取らなくなる。生きているのに、関係は死人のようだ。
データー化された文字の羅列にはたして血は通うのか、と複数のSNSを見て不思議に思う。
危うい行動を軽はずみに発信すれば社会的に殺される事実があるから、血ではなく魂の一部くらいは文字に
なっていてもおかしくはないのかもしれない。更新しなければ生き延びることが出来るわけだ。
けれど私はこうして文字に起こすことによって、生きながらえている。
自分のなかのどろどろとした消化しきれない思考を文字に起こしている。
きっと緩やかに死ににいく過程を、楽にしたいだけだ。故に私も魂を削っていることに変わらないのだろう。

なんとなく、ブログを更新したくなっただけ。
深く考えれば考える程、意味がなくなっていく。

スポンサーサイト



Posted on 16:56 [edit]

category: 空白

tb: --   cm: --

インフォ

予定

カテゴリ

月別アーカイブ

リンク